透明なクジラ

長すぎてTwitterに書けないこととか。

青春は、優しいだけじゃない。痛い、だけでもない。

 

 疲れている時は往々にして新しいものを摂取する気にはなれない。そんなわけで既に見たことのあるもので、且つ気軽に見れそうなアニメとして氷菓を視聴した。原作は去年読んだけれど、アニメを見るのはおよそ五年ぶりくらいになる。それだけ時間が経っていれば見方も変わるというもので、改めて気づいたことなどをメモ程度に書き残しておく。

 


 

 以前は表題作である氷菓をめぐる物語は地味で退屈なエピソードという印象を抱いていた。しかし、「氷菓」という文集のタイトルには、過去に古典部にまつわる何かが由来しているらしいという希薄な取っ掛かりから、資料を持ち寄って各々ができる限りの推論をすることで真相に至るというのは、今になって見ると面白いものだった。先ほどは地味だと書いたけれど、地味さゆえの面白さが醸し出されている。関谷純が残した「I scream」というメッセージに誰も気が付かないことに憤る奉太郎の描写が特に良かった。後の『連峰は晴れているか』でも奉太郎が他人に繊細な配慮を見せているが、きっと頭が良すぎるから真面目に生きると他人よりも疲れてしまうのだろうなと、省エネを貫く信条の一端が窺えるように思う。

 続く『愚者のエンドロール』も、昔はなんで奉太郎があんなに怒っていたのかいまいちわからなかったものだが、アニメを見返してみると、奉太郎が思っていた以上に、入須先輩に乗せられて浮かれていたのを察することができた。最後にえるに映画の本来の結末を語るシーンは、自分を証明するためではなく、彼女のために己の能力を発揮するのが奉太郎らしいことを暗示しているようで良い。入須冬美という人間は、公人としての自分と私人としての自分を冷酷なまでに分けて考えることができてしまうのだろうと、以降のエピソードで登場する姿を見ていると痛切に感じた。奉太郎を利用したことを悪いと思っていたのは私人としての本心であるが、それが事を成すために必要ならば他人を利用することを厭わないというのも、公人としての彼女の信条であることは事実であろう。彼女のような複雑な二面性を持つキャラクターは個人的にとても好きだ。

 このまま各エピソードについて語っているときりがないので割愛するが、全体的に後味の悪い話が多かった。今までも『手作りチョコレート事件』、『ふたりの距離の概算』、『いまさら翼と言われても』などは特に後味が悪いと感じていたけど、よく見てみればどのエピソードも、万事解決しているものはない。例えば『クドリャフカの順番』は古典部という組織からしたら文集が完売して丸く収まっているが、その構成員である里志や摩耶花には遺恨が残っているし、事件の当事者であった生徒会長絡みの問題は全く解決していない。謎を解くことができても、問題を解決することはできない。そんな奉太郎にとっての限界が明瞭に立ちふさがったのが『ふたりの距離の概算』だったのだと腑に落ちた。

 気軽に見れるものだと思って選んだはずが、結果として胃を痛めるようなエピソードばかりだった。それでも『氷菓』という作品はどこか柔らかな雰囲気を持っていて、抵抗なく物語の先を望んでしまう。ここまで駄文を書き連ねてきたけれど、「青春は、優しいだけじゃない。痛い、だけでもない。」というキャッチコピーが全てを物語っているのだ。